令和四年4月10日、千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手が、オリックス戦(ZOZOマリン)で
プロ野球史上16人目の完全試合を達成しました。
これは長いプロ野球の歴史でもとてつもない偉大な記録です。
歴史的な試合をハイライト動画ですが目にして浸っていた私に、
![ダシダシ嫁](https://dashidashi-blog.com/wp-content/themes/cocoon-master/images/woman.png)
完全試合ってなに?
何がすごいの?
ダシダシ嫁は野球に詳しくありません。なぜ感動が伝わらん・・・。
ならばと思い、今回は小中高大学まで野球部に所属し、大学時代は東都大学野球2部で
公式記録員を勤めた経験のある私が、嫁さん含めた野球に詳しくない方へ向けて
完全試合とは何なのか、どうすごいのかを解説してみたいと思います。
加えて、似て非なるものとしてノーヒットノーランも合わせて解説してみたいと思います。
宜しくお願い致します。
完全試合とは?
完全試合とは、先発した投手が9回まで27個のアウトを取るまでに、
1人の出塁を許さず(安打・エラー)、且つ一つのフォアボール、デットボールも許さずに、
勝ち投手となることを指します。
日本プロ野球投手記録の中でも最高難易度の記録と言っても過言ではありません。
佐々木投手で16人目の達成者です。
直近の達成ですから、28年前。
巨人の槙原投手が達成して以来ですから、滅多に見られる記録ではないのです。
ちなみに、この槙原投手の試合は、当時小学生で野球小僧であった私はとても印象深く覚えています。
- 一人の出塁も許さない(安打・エラー)
- 四死球を出さない
- 勝ち投手になる
プロ野球 完全試合 歴代達成者一覧
過去の達成者は下記の通り16名です。
選手名 | 所属球団 | 達成年 | 対戦相手 | 球場 | スコア | 三振数 |
藤本英雄 | 巨人 | 1950年 | 西日本 | 青森 | 4-0 | 7 |
武智文雄 | 近鉄 | 1955年 | 大映 | 大阪 | 1-0 | 6 |
宮地惟友 | 国鉄 | 1956年 | 広島 | 金沢 | 6-0 | 3 |
金田正一 | 国鉄 | 1957年 | 中日 | 中日 | 1-0 | 10 |
西村貞朗 | 西鉄 | 1958年 | 東映 | 駒沢 | 1-0 | 6 |
島田源太郎 | 大洋 | 1960年 | 阪神 | 川崎 | 1-0 | 3 |
森滝義巳 | 国鉄 | 1961年 | 中日 | 後楽園 | 1-0 | 4 |
佐々木吉郎 | 大洋 | 1966年 | 広島 | 広島 | 1-0 | 7 |
田中勉 | 西鉄 | 1966年 | 南海 | 大阪 | 2-0 | 7 |
外木場義郎 | 広島 | 1968年 | 大洋 | 広島 | 2-0 | 16 |
佐々木宏一郎 | 近鉄 | 1970年 | 南海 | 大阪 | 3-0 | 4 |
高橋善正 | 東映 | 1971年 | 西鉄 | 後楽園 | 4-0 | 1 |
八木沢荘六 | ロッテ | 1973年 | 太平洋 | 仙台 | 1-0 | 6 |
今井雄太郎 | 阪急 | 1978年 | ロッテ | 仙台 | 5-0 | 3 |
槙原寛己 | 巨人 | 1994年 | 広島 | 福岡ドーム | 6-0 | 7 |
佐々木朗希 | ロッテ | 2022年 | オリックス | ZOZOマリン | 6-0 | 19 |
ご覧いただくと16名の達成者の内、14名は1970年代以前に集中しています。
その時代のプロ野球といえば先発完投が主流のため割と多くの投手が達成しているようです。
しかしながら、次の見出しで完全試合の達成条件を書きますが、現代に於いては
絶滅危惧種ですが、先発完投が主流の時期でも達成するにはそれはそれは大変な条件です。
完全試合達成条件
完全試合、大リーグではパーフェクト、パーフェクトゲームと呼ばれるには
どのような達成条件があるのでしょうか。
以下の3つが条件です。
1人の安打・エラーを含めた出塁を許さない
![](https://dashidashi-blog.com/wp-content/uploads/2022/04/baseball_fly_error.png)
1人の安打・エラーも含め出塁を許さないところが完全試合たる所以です。
安打はもちろんですが、味方のエラー出塁ですらも許されません。
ですので、投手のみのパフォーマンスだけでは達成できない、
即ち正に全員野球が求められということです。
投手以外の選手も回が進むにつれ、緊張感・プレッシャーは、えげつないことと思います。
四死球を出さない
四球・フォアボールが許されません。
プロ野球の試合でもほぼ必ず数個は出るといって言いほど、四死球はつきものだと思います。
しかし、この完全試合を成し遂げるには、四死球も1つも許してはいけません 。
即ち、コントロールの精度が抜群で、打者との対戦で早くから有利なカウントでの
勝負が求められます。
今回の佐々木投手の場合は、早くからストライクを重ねて追い込み、
奪三振の数が過去の達成試合と比べ歴代最多なのは、あっぱれとしか言いようがありません。
勝ち投手になる
![](https://dashidashi-blog.com/wp-content/uploads/2022/04/sports_hero_interview_man_baseball.png)
安打を許さず、味方の守備の高さも必要。
また、投手のコントロールも必須という条件を見てきましたが、
最後の難関が、勝ち投手となることです。
いくら投手として自分の役割を全うできたとしも、自軍の勝利で、自分の勝ち星がつかなければ
完全試合を達成できる条件には当てはまりません。
これまでも自分のパフォーマンスとは裏腹にチームが打てずに、
記録達成がならなかったケースが有ることは事実です。
ノーヒットノーランとは?
一方、完全試合と対をなすようなノーヒットノーランとはいったい何なのか?
ノーヒットノーランとは、先発した投手が9回まで27個のアウトを取るまでに、
1人の安打出塁を許さずに勝ち投手となることを指します。
ですので、四死球が出てしまったとしても、得点をゼロ、安打を許さなければ
ノーヒットノーランとして記録に残ります。無安打・無得点です。
過去の達成者
83人・94度 (うち完全試合16人・16度)
達成順 | 選手名 | 球団 | 達成年月日 | 相手 | 球場 | |
1 | 沢村 栄治 | 巨 人 | 1936.9.25 | タイガース | 甲子園 | |
2 | 沢村 栄治 | 巨 人 | 1937.5.1 | タイガース | 洲崎 | |
3 | スタルヒン | 巨 人 | 1937.7.3 | イーグルス | 洲崎 | |
4 | 石田 光彦 | 阪 急 | 1937.7.16 | 東京セネタ | 洲崎 | |
5 | 中尾 輝三 | 巨 人 | 1939.11.3 | 東京セネタ | 後楽園 | |
6 | 亀田 忠 | イーグルス | 1940.3.18 | ライオン | 西宮 | |
7 | 浅野 勝三郎 | 阪 急 | 1940.4.14 | タイガース | 甲子園 | |
8 | 沢村 栄治 | 巨 人 | 1940.7.6 | 名古屋 | 西宮 | |
9 | 三輪 八郎 | タイガース | 1940.8.3 | 巨 人 | 大連 | |
10 | 石田 光彦 | 阪 急 | 1940.8.22 | ライオン | 大連 | |
11 | 亀田 忠 | 黒 鷲 | 1941.4.14 | 阪 神 | 後楽園 | |
12 | 中尾 輝三 | 巨 人 | 1941.7.16 | 名古屋 | 後楽園 | |
13 | 森 弘太郎 | 阪 急 | 1941.10.27 | 名古屋 | 西宮 | |
14 | 西沢 道夫 | 名古屋 | 1942.7.18 | 阪 急 | 後楽園 | |
15 | 天保 義夫 | 阪 急 | 1943.5.2 | 南 海 | 甲子園 | |
16 | 藤本 英雄 | 巨 人 | 1943.5.22 | 名古屋 | 後楽園 | |
17 | 別所 昭 | 南 海 | 1943.5.26 | 大 和 | 神戸 | |
18 | 石丸 進一 | 名古屋 | 1943.10.12 | 大 和 | 後楽園 | |
19 | 呉 昌征 | 阪 神 | 1946.6.16 | セネタース | 西宮 | |
20 | 梶岡 忠義 | 阪 神 | 1948.8.24 | 南 海 | 神宮 | |
21 | 真田 重蔵 | 大 陽 | 1948.9.6 ② | 阪 神 | 甲子園 | |
☆ | 22 | 藤本 英雄 | 巨 人 | 1950.6.28 | 西日本 | 青森 |
23 | 金田 正一 | 国 鉄 | 1951.9.5 | 阪 神 | 大阪 | |
24 | 林 義一 | 大 映 | 1952.4.27 ① | 阪 急 | 高崎 | |
25 | 真田 重男 | 阪 神 | 1952.5.7 | 広 島 | 甲子園 | |
26 | 大友 工 | 巨 人 | 1952.7.26 | 松 竹 | 大阪 | |
27 | 山下 登 | 近 鉄 | 1954.8.7 | 高 橋 | 中日 | |
28 | 杉下 茂 | 中 日 | 1955.5.10 | 国 鉄 | 川崎 | |
29 | 大津 守 | 西 鉄 | 1955.6.4 | 近 鉄 | 平和台 | |
☆ | 30 | 武智 文雄 | 近 鉄 | 1955.6.19 ② | 大 映 | 大阪 |
31 | 大脇 照夫 | 国 鉄 | 1956.5.3 ② | 中 日 | 中日 | |
☆ | 32 | 宮地 惟友 | 国 鉄 | 1956.9.19 ② | 広 島 | 金沢 |
☆ | 33 | 金田 正一 | 国 鉄 | 1957.8.21 ② | 中 日 | 中日 |
34 | 大矢根 博臣 | 中 日 | 1957.10.12 | 阪 神 | 甲子園 | |
☆ | 35 | 西村 貞朗 | 西 鉄 | 1958.7.19 | 東 映 | 駒沢 |
☆ | 36 | 島田 源太郎 | 大 洋 | 1960.8.11 ① | 阪 神 | 川崎 |
☆ | 37 | 森滝 義巳 | 国 鉄 | 1961.6.20 | 中 日 | 後楽園 |
38 | 井上 善夫 | 西 鉄 | 1964.5.16 | 阪 急 | 平和台 | |
39 | 中山 義朗 | 中 日 | 1964.8.18 | 巨 人 | 中日 | |
40 | バッキー | 阪 神 | 1965.6.28 | 巨 人 | 甲子園 | |
41 | 外木場 義郎 | 広 島 | 1965.10.2 | 阪 神 | 甲子園 | |
☆ | 42 | 佐々木 吉郎 | 大 洋 | 1966.5.1 ② | 広 島 | 広島 |
☆ | 43 | 田中 勉 | 西 鉄 | 1966.5.12 | 南 海 | 大阪 |
44 | 清 俊彦 | 西 鉄 | 1966.6.12 ② | 近 鉄 | 小倉 | |
45 | 若生 忠男 | 西 鉄 | 1967.9.17 ② | 阪 急 | 西宮 | |
46 | 堀内 恒夫 | 巨 人 | 1967.10.10 ① | 広 島 | 後楽園 | |
47 | 城之内 邦雄 | 巨 人 | 1968.5.16 | 大 洋 | 後楽園 | |
48 | 鈴木 啓示 | 近 鉄 | 1968.8.8 | 東 映 | 日生 | |
☆ | 49 | 外木場 義郎 | 広 島 | 1968.9.14 | 大 洋 | 広島 |
50 | 成田 文男 | ロッテ | 1969.8.16 ② | 阪 急 | 西宮 | |
51 | 渡辺 秀武 | 巨 人 | 1970.5.18 | 広 島 | 後楽園 | |
52 | 鬼頭 洋 | 大 洋 | 1970.6.9 | ヤクルト | 川崎 | |
☆ | 53 | 佐々木 宏一郎 | 近 鉄 | 1970.10.6 | 南 海 | 大阪 |
54 | 藤本 和宏 | 広 島 | 1971.8.19 ② | 中 日 | 広島 | |
☆ | 55 | 高橋 善正 | 東 映 | 1971.8.21 ② | 西 鉄 | 後楽園 |
56 | 鈴木 啓示 | 近 鉄 | 1971.9.9 | 西 鉄 | 日生 | |
57 | 外木場 義郎 | 広 島 | 1972.4.29 | 巨 人 | 広島 | |
58 | 高橋 直樹 | 日 拓 | 1973.6.16 ② | 近 鉄 | 後楽園 | |
59 | 江夏 豊 | 阪 神 | 1973.8.30 | 中 日 | 甲子園 | |
☆ | 60 | 八木沢 荘六 | ロッテ | 1973.10.10 ① | 太平洋 | 仙台 |
61 | 神部 年男 | 近 鉄 | 1975.4.20 ② | 南 海 | 藤井寺 | |
62 | 加藤 初 | 巨 人 | 1976.4.18 | 広 島 | 広島 | |
63 | 戸田 善紀 | 阪 急 | 1976.5.11 | 南 海 | 大阪 | |
☆ | 64 | 今井 雄太郎 | 阪 急 | 1978.8.31 | ロッテ | 仙台 |
65 | 郭 泰源 | 西 武 | 1985.6.4 | 日本ハム | 平和台 | |
66 | 田中 幸雄 | 日本ハム | 1985.6.9 | 近 鉄 | 後楽園 | |
67 | 近藤 真一 | 中 日 | 1987.8.9 | 巨 人 | ナゴヤ | |
68 | 柴田 保光 | 日本ハム | 1990.4.25 | 近 鉄 | 東京ドーム | |
69 | 湯舟 敏郎 | 阪 神 | 1992.6.14 | 広 島 | 甲子園 | |
☆ | 70 | 槙原 寛己 | 巨 人 | 1994.5.18 | 広 島 | 福岡ドーム |
71 | 西崎 幸広 | 日本ハム | 1995.7.5 | 西 武 | 東京ドーム | |
72 | 佐藤 義則 | オリックス | 1995.8.26 | 近 鉄 | 藤井寺 | |
73 | ブロス | ヤクルト | 1995.9.9 | 巨 人 | 東京ドーム | |
74 | 渡辺 久信 | 西 武 | 1996.6.11 | オリックス | 西武 | |
75 | 野口 茂樹 | 中 日 | 1996.8.11 | 巨 人 | 東京ドーム | |
76 | 石井 一久 | ヤクルト | 1997.9.2 | 横 浜 | 横浜 | |
77 | 川尻 哲郎 | 阪 神 | 1998.5.26 | 中 日 | 倉敷 | |
78 | 佐々岡 真司 | 広 島 | 1999.5.8 | 中 日 | 広島 | |
79 | バンチ | 中 日 | 2000.4.7 | 横 浜 | 横浜 | |
80 | エルビラ | 近 鉄 | 2000.6.20 | 西 武 | 大阪ドーム | |
81 | 川上 憲伸 | 中 日 | 2002.8.1 | 巨 人 | 東京ドーム | |
82 | 井川 慶 | 阪 神 | 2004.10.4 | 広 島 | 広島 | |
83 | ガトームソン | ヤクルト | 2006.5.25 | 楽 天 | 神宮 | |
84 | 山本昌 | 中 日 | 2006.9.16 | 阪 神 | ナゴヤD | |
85 | 前田 健太 | 広 島 | 2012.4.6 | DeNA | 横浜 | |
86 | 杉内 俊哉 | 巨 人 | 2012.5.30 | 楽 天 | 東京ドーム | |
87 | 西 勇輝 | オリックス | 2012.10.8 | ソフトバンク | ヤフーD | |
88 | 山井 大介 | 中 日 | 2013.6.28 | DeNA | 横浜 | |
89 | 岸 孝之 | 西 武 | 2014.5.2 | ロッテ | QVCマリン | |
90 | 山口 俊 | 巨 人 | 2018.7.27 | 中 日 | 東京ドーム | |
91 | 千賀 滉大 | ソフトバンク | 2019.9.6 | ロッテ | ヤフオクD | |
92 | 大野 雄大 | 中 日 | 2019.9.14 | 阪神 | ナゴヤD | |
93 | 小川 泰弘 | ヤクルト | 2020.8.15 | DeNA | 横浜 | |
☆ | 94 | 佐々木 朗希 | ロッテ | 2022.4.10 | オリックス | ZOZOマリン |
こちらは完全試合にくらべて6倍ほどの達成率となっています。(完全試合達成者も含んでいます。)
似て非なるものですが、完全試合との記録の重さはどこに大きな相違点が
あるのでしょうか。
ノーヒットノーラン達成条件
ノーヒットノーランとはいったいどのような達成条件なのでしょうか。
完全試合とはどの部分が異なるのでしょうか。
1人の安打も許さない、得点を奪われてはいけない
![](https://dashidashi-blog.com/wp-content/uploads/2022/04/baseball_home_closeplay_man.png)
1人の安打も許さない。
完全試合と違う点は、1人の安打は許されないことについては同様です。
そして、得点はゼロでということはこちらも同様です。
四死球・エラーによる出塁は許される
完全試合の場合においては、四死球はゼロ、野手のエラーもゼロ。
まさに、完璧な試合が展開できたからこそ完全試合と称されるのです。
一方、ノーヒットノーランは、ヒットは許さずも、コントロールミスからの四死球、
味方の野手によるエラーでの出塁は許されるのがノーヒットノーランの条件です。
勝ち投手になる
こちらの条件は、完全試合達成時と同様です。
勝ち投手になることが何れにしても完全試合達成には必要な条件です。
運ももちろんあるでしょうが、味方の援護射撃が必要不可欠です。
完全試合とノーヒットノーランの違いについて
それぞれの記録の違いを解説してきましたが、
一番の相違点は、ランナー・出塁を許したかどうかです。
一人の出塁も許さずに勝ち投手となることが完全試合であり、
ノーヒットながらも、四死球による(ある意味自分の実力不足)ものなのか、そ
れとも味方のミス(エラー)による出塁を許した場合はノーヒットノーランとなります。
完全試合とノーヒットノーランどちらがすごいの
![](https://dashidashi-blog.com/wp-content/uploads/2022/04/baseball_pitcher_man.png)
歴史の長いプロ野球史上の達成者数においても一目瞭然ではありますが、
完全試合のほうがとてもすごい記録であります。
なんせ28年ぶりの記録でありますし、今後も日本のプロ野球では簡単に達成を見込めない
記録であることは確かです。
大リーグでも2012年を最後に記録達成はされていないのです。
世界の野球から見ても滅多にお目にかかれる試合ではないのです。
まとめ
![](https://dashidashi-blog.com/wp-content/uploads/2022/04/baseball_ball.png)
佐々木投手が達成した完全試合とそれからこちらも偉大な記録である
ノーヒットノーランについて解説させていただきました。
私は、28年前の槇原投手の完全試合を見たきり、野球人生のなかでは完全試合を
見たことがありませんでした。
食らったオリックスは屈辱であると思いますが、私個人的にはよく真っ向勝負に
徹したなあと感じています。
もし、今回の結果を想定できたなら、バント等の作戦を含め、何とかバットに当てて
記録達成を阻もうと考えることを想像します。
しかしながら、オリックスサイドは真っ向勝負、正々堂々、潔く脱帽と、
なった様は屈辱とは察する者の、非常にクリーンな勝負を垣間見れたと思います。
以上のように敗者にエールをおくりつつも、
改めて佐々木投手の達成した完全試合の偉大さに驚愕しています。
おそらく存命中にあと一回拝めるか、どうかの記録だと思います。
嫁を含め、野球に詳しくない方に今回の偉業がいかほどのものだったのかが、
伝われば幸いです。
今後も是非宜しくお願いします。
せば、まず。
コメント